久々の映画途中退席。
チケットが余っている!で選んだらダメですね〜。
退席して、時間を自分軸に戻す。
まだ完全開通していないため、無料で走れる高速道路の路肩にバイクと人を発見する。
バイクの後に停車し「何かお困りですか?」と声をかけると「ガス欠で」との返答。高速道路でガス欠か〜こういう時どうすればいいのか経験がない。
「保険会社に連絡したので」と立っていた青年は落ち着いている。水分も大丈夫とのことであったので互いに会釈をし、その場を去る。携帯電話がある時代で、遠隔でSOSを出せてよかったと思った。
普段の仕事や日常ではマルチスクや人名を覚えることなどが苦手な私。こういう「あ!誰か困っているかも」の時には体がとっさに動いている。
ほってけない。
私が力まずできてしまうこと。
人の心って何ですか?と、ある人に尋ねた時、その人は「関係性だと思う」と言った。その言葉の意味を今強く感じている。
ある電話を最後に疎遠になって約2年になる人に、勇気を出して会いに言った。「何しに来たん。私が電話した時、時間の無駄と言ったがん」と。
私の記憶にあるのは、私が一方的に責められ言葉。その人の記憶は私が相手との会話を時間の無駄と言った記憶。私の記憶に自分が発したというその言葉の記憶は残っていない。
相手はその言葉を残し自宅へ。私は「何しにきたん」という言葉を胸に帰路につく。
拒絶された記憶が積み重なった日。
関係性の悪化は物理的な距離を超えて、心に雨を降らし続ける。
雷が落ちた後のように、雲は覆い被さりとても近くで湿り続ける。
自宅の室内は夏を感じる暑さ。もうすぐ季節は梅雨もやって来る。
朝一の映画上映へ。ミスった!入り口が分からない。AIに相談し出てきだけど、それがどこなのか??
閉まった自動ドアの向こうで掃除をされている方に、ジェスチャーで尋ね「あっち→」だと。
ダッシュうでこの時間に開いている入り口へ。
上映前の他の映画告知を少し見逃した感。次回から、事前にシュミレーションしておこう。
今日の映画は「プラダを着た悪魔2」
前回から何年ぶりなのだろうか。
両側に人という久々の満席状態。
テンポの良い流れと音楽、時にしっとりしたストーリー。
エンドロールを楽しみにするのは大人になったからなのか。最後列席を理由に、立って踊りたい気分を我慢。
帰りに一階の食品売り場で、5パーセント割引のベーグルを購入し、スマホでガガを聴きながらウォーキングで帰路へ。少し汗ばむ。
前年度、大阪であったガガのライブを思い出すな〜。
幼い頃はいつ石臼の杵付き餅を家族で作る年末。今はその恒例行事は無い。餅はスーパーで買ってちょこちょこいただく。
最近豆餅を食べたい欲が出てきた。スーパーに豆餅はあるのか?あった!
黒豆入りの豆餅。
我が家の豆餅と言えば大豆入りの白豆餅。一軒下のいえで作っていたのは黒豆入りの豆餅。一軒といっても徒歩で5分はかかる距離にあるような田舎の話し。
実家の懐かしい大豆の豆餅ではないが、正月の風景を思い出しながら、黒豆餅を焼いて、海苔を巻いてお茶と一緒に頂く。
ほっこりする気持ち黒でも白でも同じだな〜
毎年春が来て、急に暑くなってまた寒くなる。暖房が必要無くなる季節になると、夏への移行を心掛けるのだが。その期間に寒の戻りが数回ある。
いつからか寒がりで冷え性になってしたもので、寒の戻りには敏感である。
大体ゴールデンウィークくらいに寒の戻りが来ている記憶。今年もそろそろ寒さが来るかな。必要無いような、でも寒い。ホットカーペットを入れよう。ちょっと本を開こう。1日が慌ただしく過ぎる。4月は何ができたかな?
二日前は楽しい仲間と集まれたな。
昨日は農作業でクタクタ。
あ!今日はゴールデンウィークなのか。
散歩ついでに果物屋さんへ立ち寄る。周りにある色々な飲食店には長い行列ができている。
果物屋さんの外にあるワゴンには、いつものお勧め品が並んでいる。
柑橘類はまだ家にストックがあるので、今日はさつまいもを手に取る。持ち物はスマホとサングラスと帽子と鍵。レジ袋も持ち合わせていないので、さつまいも2袋を購入しスマホで精算。
片手に1袋ずつ持って家路へ。
小さなさつまいもが、ぎゅうと詰め込んである小袋。手ぶらだった散歩が途中から筋トレに変化した。
春もそろそろ終わるのかな〜などと思いを巡らせ、道ゆく車やすれ違う人の視線をよそに、両腕には徐々に重さとだるさを感じる。
帰宅し、自宅の流し台へさつまいもを置く。家の中は少し暑ささえ感じる筋トレの休日。
目が覚めると、窓の外がいつもと違う白さをしていた。
カーテンを引くと、見慣れた景色が消えていた。隣の家の屋根も、遠くの山の稜線も、すべてが白い息のなかに溶けている。霧だ、と思う前に、ただその白さに見とれている自分がいた。
霧の朝は、世界が一時停止するような気がする。音も、遠くへ行く前に綿のなかへ吸い込まれてしまう。犬の声も、どこかの踏切の音も、遠くて近くて、向こうとこちらの境界があいまいになる。
コーヒーを淹れた。湯気が白く立ちのぼり、窓の外の霧と同じ言葉で語りかけてくるようだった。
霧はいつか晴れる。それはわかっている。でも今この瞬間、世界がこんなに静かに隠れていることを、もう少しだけ惜しんでいたかった。
消えるとわかっているものを、美しいと思う。それだけで、朝はじゅうぶんだと思う。
それでも、時計は正直だった。
霧のなかに消えてしまいたいような気持ちとは裏腹に、針は着実に動いている。支度をしなければ、と思う。傘がいるだろうか、いや霧に傘は意味をなさない、などと考えながら、ようやく椅子を立つ。
美しいものと、行かなければならない場所は、いつも同時にある。でも今朝は、その「いつも」が少し頼りなく感じた。霧のなかの道を、いつもと同じ時間に走っていいものか。時計を見て、少し早めに鍵を手に取った。